豆腐について考えること
渋谷良信
*渋谷良信(しぶやよしのぶ):昭和24年11月19日、東京麹町に生まれる。
父は、有名な豆腐屋「豊島屋」の四代目として都内で30人を越す弟子を指導・育成する一方、科学者として数々の研究にも従事していた。幼少の頃から天才児と呼ばれていた良信は、長年の豆腐製造ノウハウを父から譲り受け、独自の豆腐製造コンセプトを具現化するための研究を続けた。平成7年、遂に豆腐製造機マイスター(「素材と製法」参照)が完成し、すばらしい豆腐が誕生する。平成10年1月16日癌のため死亡。渋谷良信の遺志は、現在斉藤智司に受け継がれ、三才豆腐として世界に向けて発信されようとしている。
*「豆腐について考えること」は、一部渋谷氏の独断と偏見があり、多少過激な表現が含まれていますが、故人が伝えたかった思いを尊重し、あえて全文を掲載することにしました。
食べること、食べるしぐさは文化である
日本には多くの不思議な食べ物や料理がある。日料理がある本固有の産物として、梨、柿、ゴボウ、海苔、ワカメ、また独特な加工品としてコンニャク、鰹節などの食品もある。狭い島国でありながら、南北3500 kmという長い国土であり、四つの海に囲まれた豊かな自然環境によって季節に応じたうまいものが食卓を彩る。
先人の知恵を引き継ぎ、各国の食文化を学び、さらに家庭においても豊かな食事を構成しつつある。世界の人々が毎日何を食べているか知らないが、黒々とつやのある浅草のり、香ばしく焼く上がった目刺し、色よく焼けたタラコや塩鮭、本物の佃煮、なんといっても素晴らしい色のナス、キュウリの漬物、私たち日本人の家庭における「朝めし」は、世界で最も変化に富んだ豊かなものではないかと思う。
日本人は中国という巨大で歴史のある偉大な国家からほとんどの文化を学んできた民族である。しかし、先達はそのまま繰り返すだけではなかった。自国の環境に合わせて工夫改良し、特に食文化においては日本独特の産物の特徴を活かし日本独特の食スタイルへと発展させてきた。それは日本人特有の文化と考えるべきである。まさに日本人の個性である。
日本人の味覚
中華料理で「翼あるもので食べないのは飛行機、地上にあるもので食べない四つ足は椅子と机、海に存在するもので触手を伸ばさないのは船だけ」と言われるほど、何でも食卓にのせることになっている。
たしかに日本人は、ヘビ、トカゲ、犬などは普通に食べることはない。しかし、第二次世界大戦後、各国の食生活の長所(最近は短所と言える)をマネた上に、日本国内で生産できるよう技術開発を続け積極的に食事の充実を計ったので、日本の家庭の食卓は本家中国をもしのぐ程の向上を示したと言える。ただ日本風の味付けなので世界の方々に通用するとは思えないが、日本人の味覚は何でもマネしてから自分流に変えるという伝統に支えられており、これが半導体や工業製品と良く似た日本人流のやり方なのかも知れない。
とにかく、日本人はうまいものはそのまま続け、そうでないものは工夫して変える。味覚そのものの探求とその研究が同じレベルで扱われ、自分たちに合うさらなる日本人の味覚を作るのである。
日本の伝統の危険な状態
私たち日本人の食の現状は、中国から学んだ食文化も、日本人の極めて高い「工夫」の歴史も失おうとしている。
その第一が豆腐である。私は豆腐のことで中国に行ったことがないからよく知らないが、仏教の伝来以来1500年以上に渡り、日本人は日本の風土に合わせた繊細で眩いばかりの素晴らしい豆腐を作り上げてきた。すでに今の中国で製造されている豆腐とは、かなり様変わりしているはずである。
みなさんがよくご存知の「絹ごし豆腐」については、250年ほど前の江戸時代に細乃雪(ささのゆき)という豆腐料理屋さんが発明製造し、時の将軍に献上したところ絹のように滑らかでツヤがある豆腐ということで「絹ごし」という名前を頂戴したとのことです。また「ぶっこみ豆腐」(現在では「ソフト豆腐」と呼ばれている)は、脚気を治すためにビタミンB1(オリザニン)を発見した日本の偉大なる化学者、鈴木梅太郎博士による発明である。それは、従来のよせ式豆腐とは比べものにならない程栄養分が豊富に含まれていたのである。別名、健康民族豆腐、略して「けんみん豆腐」と呼ばれているくらいで、ままの栄養をムダに流さないすばらしい製造方法であったのである。
そして今日、その「ソフト豆腐」は市場を席巻するに至ったが(先生には非常に申し訳ないのですが)これが大問題のはじまりで、中国の歴史や日本の豆腐文化を失う、まさに危険な状態を現出したと言えるのである。
それは決定的な問題として、「ソフト豆腐」の製造方法が新しい凝固剤の開発により、豆腐もどきの製造者たちにとっては大変都合のよい方法だったからである。
その凝固剤は、タンパク質や脂質以外の糖質を有機的に結合させることによって「酸」として利用し、保水性の高い凝固形態、すなわち「水ごと固められる」奇跡の凝固剤として販売され、「水ぶくれ豆腐」の著しい製造合戦の原因となった。
ちなみに豆乳(大豆をすりつぶし煮てから汁だけを濾しとったもの)にはタンパク質が多く、陽金属イオンばかりでなく「酸」でも固められることから、グルコノデラクトンという高分子の糖の有機物が「グルコン酸」へ変化する新しい方式の凝固剤になった。
このグルコノデラクトンは使い方に問題があり、ニガリなどの凝固剤と少量協力関係の使用であれば有効に画期的な凝固剤であったのだが、一部の豆腐屋にとっては、水ごと固められるうれしい凝固剤であり、消費者は高い水を買うことになったのである。
現実に昔ながらのニガリによる「よせ豆腐」とグルコノデラクトンを使った「ソフト豆腐」とでは最低でも1対4の割合、つまり固め方によって同量の大豆を使っても1丁しかできないか4丁できるかになってしまうのである。グルコノデラクトン。この経営的に大変優れた凝固剤は、大豆のアクが残ったままの水っぽい豆腐の製造にはうってつけの発明品と呼びたいのである。しかし、欲張らなければグルコノデラクトンは大発明と言えるのだ。
豆腐についてもう一度考えて見よう
豆腐は本来大豆タンパク質を硫酸カルシウムや塩化マグネシウムなどの金属陽イオンで電気的に凝固させるという特殊な食品である。コンニャクと同様、ゆで卵のタンパク加熱凝固やゼラチン質のように冷やして固めるといったスタイルではなく、化学変化に近い方法で造られているのである。
その電気的イオン結合は、食塩のNaとClのような強い固まりでなく緩やかな固まりで、大豆のタンパク質を中心に脂質、糖質、ミネラル、水分などをすべて固めているものである。それは大豆の旨味を引き出し、ニガリ(ほとんどミネラル)のもつアク、大豆の持つイゴ味を取り除く凝固形態にもなっている。余った水分は豆腐の「お湯」と呼ばれ、マイナスイオンの能力を発揮し、この大豆のサポニンを含む「お湯」で雑巾がけをすれば廊下の油を取り、美しい木の床にし、柱や板を強靱にすることさえできる。
牛肉が身体にいいなどと思っている人があなたの周りにいるだろうか。植物性タンパク質が身体にいいことは、最近では誰もが知るようになった。しかし、お米、小麦、そば、とうもろこしに植物性タンパク質(アミノ酸)が含まれていることは意外に知られていない。必須アミノ酸(人間が必ず食物によって補給しなければならない最低限17種のアミノ酸)のうち数種は、これらの穀物から摂れる。しかし、大豆のアミノ酸がなければ、肉や卵、牛乳が必要になってくる。言い換えると、大豆があれば肉類は特に必要ないと言える。“豆は畑の牛肉”と言われる所以である。
江戸時代どころか、弥生時代から日本人は肉をあまり食べなかったにもかかわらず、大豆、麦、米をバランスよく摂っていたので元気であった。お寺の定番、精進料理でも、大豆がなければ「長生きの坊主」などどこにもいない筈だ。
お寺と共に(つまり、それは私たちの長い歴史に根付いた仏教文化と共に)生きていた大豆、そして豆腐料理。私たちが水ぶくれ豆腐で、この歴史的、文化的な中国と日本の知恵を失おうとしているのだ。前述した食文化を消し去ろうとしているのだ。
あえてつけ加えること
「消化が良くて、栄養があって、健康によい」とうたって豆腐を販売しているみなさんへ
自分が発見したわけでもない歴史的な文化遺産である豆腐の社会的な意味を痛いほど感じるべきではないでしょうか。また、300年前と同じ作り方を守っている正直で愛すべき豆腐屋さん。社会が大きく変化していることに目を開いてください。
白く四角い水のカタマリを売っている皆さん。少しは大豆と消費者に対して謙虚になっていただけませんか。さらに添加物、防腐剤を使っている豆腐屋さん。小銭欲しさに伝統を捨てたどころか、あなたは社会の敵であり1500年にもおよぶ豆腐の歴史にドロを塗っているとは思いませんか。現在の法律で許されるからと言って、してはならないことは知るべきだと私は考えます。恥を知って欲しい。あなたたちは、畑の肉、健康の素を多くの人から奪っているんですヨ。
提 案
もともと豆腐は清貧、正直者の為にあったはずである。東北地方では母さんが心を込めて作ってくれたものだ。安くて骨や皮がなくて全部食べられる。また、いつも同じ値段で売られる卵には及ばないにしても、物価の優等生、健康の素でなくてはならないのだ。金持ちしか食えないものに、身体にいいものはないし、健康によく安い食品をたくさんもっている国家や民族が繁栄するのだ。
そこで私たちは宣言する。
21世紀に通用する本物の豆腐および大豆製品を製造することを!
そのために皆さんの協力をお願いします。
豆腐の持っている意味を知ってください。
研究してください。
グルメ(美食家)はどんな風に豆腐を食べるのか
グルメという言葉が日常的に使われるようになって久しい。本来、グルメ(美食)という意味は、「まずいものは食べない“食”」ということらしい。確かにまずいものは誰でもいやである。
しかし、近ごろのいわゆる“グルメブーム”は、○○産の××だの、△△の産地直送だのと話題としては楽しいが、毎日食べるものとは程遠い気がするのは私だけだろうか。江戸時代からブランド志向があったようで、全国うまいもの百選というような書物も出回っていたが、そこに紹介されていたものは庶民の毎日の食事とは関係のない○○産××といった珍しい、いわゆる名物・名産・珍味の類いであって日常性があったとはいえない。
現代の過程の食卓は、物質的には豊かで魅力的にはなっているが、普段食べる物の中に、その食材の持つ本質的な迫力があるだろうか。各家庭の食事内容をとやかく言っても仕方がないが、私たちは何を食べてきたのか、そしてこれから何を食べていけばいいのかと考えると寒々しい思いがする。
インスタント食品やレトルトパックが悪いとは言わない。簡単だし、とにかく便利である。「焼き鳥はやっぱり備長炭に限るなあ」という人が、次の朝レトルトパックをつついたりして・・・本人の気づかないパラドクス、今やこれが日常の風景になってしまった。それでは普通の「めし」はどこへ消えてしまったのだろうか。
インスタントといえば、豆腐は豆腐屋で作られるようになって以来、インスタント、いやスーパーインスタント食品である。冷奴なら、しょうがと醤油をかけてハイ、出来上がり!とにかく便利である。
しかし、豆腐製造の実態が一般の人々に知られていないことが残念であるし、グルメは豆腐をどんな風に食べるのだろうがという疑問が起きる、グルメ(美食家)とは、フランス語らしいので、フランス人は豆腐を食べないだろうから、グルメと豆腐は関係ないのかも知れない。ただ、次回本当に旨い湯豆腐の作り方を説明するが、同じ食材でも、本当に旨く食べる方法をとること、作った人に感謝して食すということが、日本の文化に裏打ちされた「日本人らしさ」のグルメではないだろうか。言い換えれば、作った人の工夫を食べる人々が感じて工夫して食べるということである。
グルメを自認する人達、私たちの豆腐がどんな研究や工夫で製造されているかなど考える必要はない。しかし、豆腐がどうして固まるのか、どうすれば旨く食べられるのか、そして自分にとってどんな方法が一番の好みなのか考え工夫して食べて欲しい。
たった150円の名もない豆腐である。素人集団で製造する豆腐である。たかが豆腐なのだ。だからこそ美食家の意地と誇りをかけて工夫して欲しいのだ。
第四の凝固方式「二重凝固」とは?
豆腐の製造法には充填凝固式を除くと一般的には「よせ豆腐(もめんごしとも言う)」、「絹ごし豆腐」、「ソフト豆腐」がある。そして私たちには四番目の「二重凝固方式」という製造技術がある。歴代、既に私の代で四代の親達が守り作り上げてきた技術を基に新たな方式を発見したのである。
「ソフト豆腐」の持つ長所と欠点をよく研究した結果、つるりとした舌触りと喉ごしがありながら「よせ豆腐」のようなコクがある。もっと濃い味かもしれない。さらに、大豆の風味が失われずに生きている。
現物を食べていただければ、簡単にご理解いただけると思うが、現段階で食されたことのない味であると考えている。これは大した発明でも発見でもなく、偶然「失敗したソフト豆腐」からヒントを得ただけである。現在の製造技術があまりに低ければ難しいが、普通のまじめな豆腐屋さんなら誰でも作れるはずである。
しかし、その簡単な製造方法でも、次の特性を持っているので、かなりの意義を認めざるを得ない。
1. ツルツルとして絹ごしのような舌触りがある。
2. 大豆の風味が強く生きている。
3. 煮ても固くなりにくく「す」が入りにくい。
4. 味がしみやすく、寄せ鍋などのスープをまずくしない。
5. 柔らかいが、ネットリしていてこわれにくい。
6. 特別な設備や薬品などを必要としない。
7. 特別な有機大豆やミネラルウオーター、ニガリを使わなく とも十分効果的で、普通の値段で販売できる。
8. 豆腐から出てくるつゆが、甘くジュースのようで青臭さも イゴ味もない。
などだが、発見後10年にもなろうとしているが、その間このような豆腐を見たことがない。味は良いが、値段が高かったり、柔らかすぎて料理屋さんでは使えなかったり、かなり多くの豆腐を食したが、業界ではまだこの方法に気づいた方がいないようである。自信をもって提供・販売してよいと考える。
旨い理由の一つは簡単である。例として「白和え」がある。白和えは豆腐をすり鉢でよくすると油が出てきてコクが強くなる。ゴマ、ピーナッツ、クルミでも同じ原理で、これらはよく噛む、よく噛むことで旨みが増すからだ。
しかし、普通なら、豆腐をよく噛む人はほとんどいない。だから旨みを直接舌にぶつけるための凝固形態に変えたのである。わずか10ミクロンぐらいの細かい豆腐の粒を作り、更に全体を固めるという意味である。たったこれだけのことで旨味の強い舌触りのいい柔らかくねばりのある豆腐となり、大豆の持つアクやイゴ味を取り除くことができる。
私たちと共同の豆腐の研究で、板前の朝田氏は「ご飯のおかずになる豆腐、よく噛んで食べる豆腐が好きだ」と言って毎日のように味見し、根気よく出し汁を作ってくださった。また研究費を捻出してくださった塩谷氏の協力なくしてはありえなかったことである。この豆腐は、みなさんの情熱と努力で生まれたもので、誰のものでもないかわりに誰のものでもあると思っている。
新しい豆腐作りは新しいシステムで
私たちは第四の豆腐を製造する。大げさに言えば、日本の食文化の一部を守り育むためである。意義を感じた友人や豆腐好きが集まって豆腐の製造を開始する。私たち固有のブランドである。もしかすると、豆腐という名の夢を製造するのかも知れない。
素材としての豆腐の供給も大切だが、本当に旨く食べる方法も提供していきたいと考えている。基本的には新しい豆腐を作るために、新しい人間関係ができるよう望んだことから出発したのであるし、本当の豆腐文化を守り、継続し、育んでいくための最低の手段と考えている。
豆腐屋ごっこで遊びたい人は、参入を願う。
遊びこそ真剣でなければ、おもしろくないのである。
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